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今の中学受験に対する筆者の考え方

ここでは今の中学受験に対する筆者の考え方について紹介します。

目次

はじめに

中学受験塾の勉強内容は、大きく次のように分類できます。

  1. 中学受験に限らず役に立つ
  2. 役には立たないが中学受験でよく出題される
  3. 役には立たないし中学受験でも出題されない

うちは役に立つものと、やってて楽しいものを中心にやりました。 何をどこまでやるかは、目的により変わってくるでしょう。中学受験勉強をする場合、最初に目的を明確にしておくとよいです。 我が家の場合、もっと先の時間軸に視点を合わせており、中学受験はその途中のあるものでしかなく、最優先事項ではありませんでした。

子供の心身の健康と引き換えの中学受験

現在の中学受験塾は、覚える内容が非常に多く、また難しくなっています。 授業時間数が増え、宿題量も増え、子供の時間が大きく奪われるようになっています。

授業は夜の8時・9時まで続きます。学校の後ということもあり、疲れたり眠かったりする中で、非効率な勉強をすることになります。また夕飯の時間もおかしくなり、寝る時間も遅くなります。その日のうちに復習できないのも非効率です。(帰宅後に宿題をさせるご家庭もありますが、就寝時間が11時、12時になります)

塾の無い日も予習や復習があります。遊ぶ時間などほとんどありません。

このように、子供の心身の健康を犠牲にして中学受験に合格させるのが、今の中学受験塾です。

ポイント 世間ではこの問題に関してしばしば「中学受験が悪い」と言われますが、筆者は「中学受験塾が悪い」と考えています。
筆者は塾を部分的に活用しつつも、筆者自身がペースを決めて教え、また教材や問題数を最低限に絞ることで、 子供の負担を極力減らす形で最難関校合格を達成しました。

中学受験塾の勉強量が膨大になった背景

00年代から一部の塾が「出るかどうかわからないものも大量に覚えさせる」という方法で最難関校の合格者を伸ばし、業界1位になりました。しかしそれは、生徒の時間を奪い、人生のほとんどを勉強に費やす犠牲の大きな勉強法でした。 また、多大な親のサポートを必要としました。

2020年前後からは多くの大手塾も最難関校を意識したカリキュラムを組み、中学受験塾はどこも学習量が膨大になってしまいました。

中学校が難しい問題を出すと、翌年には中学受験塾がそれの対策を行います。 そのため中学校側はもっと難しい問題を出す必要が出てきます。 中学受験業界ではこの応酬が数十年繰り返された結果、 中学受験塾はあまりに難しい問題を解かせ、 中学側もあまりに難しい問題を出すようになってしまっています。

ポイント 実際の所は、中堅校で難問が出てもみんな捨ててます。制限時間内にできるだけ高い点数を取るためには、難問は捨てるのが正解です。 その反面、もっと重要な部分や基本的な部分が分かっておらず失点する子も多いです。 その意味でも中学受験塾では本当に無駄な訓練をやっています。

大変になった割に重要な内容は少ない

それで重要な学びをやっていればよいのですが、実態は違います。 中学受験塾のやっている勉強というのは、算数では入試によく出る問題を繰り返し解くことで覚えさせ、理科や社会では必要のない知識を大量に詰め込みます。

算数では、例えば方程式を使えば早い問題を、まだ小学生だからということで方程式を使わずに、わざわざ他の方法で解かせるということをします。 そういった問題は本来は、頭を柔らかくする目的で学んだり、頭の柔らかさを見るために中学側が出題していた問題であり、そのことは悪くないのです。しかし、それを繰り返し訓練することで解き方を覚えさせるのでは、本末転倒もいい所です。

また社会の暗記では、例えば都道府県ごとの県章や県の形なんて、興味を持った子は覚えればよいですが、全ての子に強要するものではないはずです。

そもそも中学受験塾で都道府県章を覚えさせられるのは何故かというと、これまでにいくつかの中学校が実際に入試で出題したからなのですが、 それはあくまで憲章の形やその他の情報からどの県なのか推測させるという趣旨の問題だったのです。

例えば「これは1968年に制定された県章です。都道府県名の頭文字を図案化したもので、外の円は大和の自然を、内の円は協和の精神を表しています」 と書かれていて、他のヒントから近畿地方と分かるので、奈良県と推測できる、という具合です。

このように、本来学校側が思考力問題として出題したものを暗記させる、というのが最近の中学受験塾の勉強では多く起こっています。

子供を育てずに合格させようとする中学受験塾

今の中学受験塾は、偏差値50の子を偏差値60に育てるのではなく、 偏差値50の子に偏差値60の問題の解答・解法を覚えさせている、という側面が強いと筆者は捉えています。問題の答えを出すための知識を詰め込むことに特化して、賢くなるための勉強がおろそかになっています。

よく中学受験に関して「地頭(ジアタマ)で決まる」「地頭の差が大きい」というような表現を見かけます。 地頭という言葉は子供の元々の素質のようなものを指しているようですが、 その地頭というものを中学受験を通じて育てればよいのに、中学受験塾にはその考えは一切なく、 どういうわけか保護者側もあまり興味がないようです。

ポイント ちなみに少し話は逸れますが、筆者は高卒母子家庭で周りに高学歴の人もいないため、遺伝の影響については非常に否定的です。 実際、現在の日本の中学受験は「これをやればいい」というレールが整備されていて、後はそれをやるだけです。 体力や忍耐力など他の能力も重要になってきており、学びに関する遺伝的才能の必要性は相対的に薄れていると考えられます。

では、子供を賢くするとは一体何なのでしょうか。明快な答えがあれば良いのですが、残念ながらその答えは膨大であり、また流動的です。 人により、また時期・時代によっても変わります。そしてそれこそが親の私たちが常に考え続け、追い求め続けるべきテーマであるべきだと思っています。

筆者も個人的に一定の結論を得ているつもりではありますが、それを正確に記述するのは非常に難しそうです。いつかどこかに書けたらいいなと思っています。

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