2013年7月22日 RTAは何故2000年頃に生まれたのか

昔話でも。
「RTA」という単語は2000年頃に極限攻略研究会によってつくられ、広まりました。
それは2000年に発売されたドラクエ7と深く関係しています。
ドラクエ7ではドラクエシリーズとしては初めて、ゲーム内にプレイ時間が表示されるようになりました。
ゲーム内時計はFFシリーズでは常識でしたが、ドラクエシリーズではこの時が初めてでした。

そして2000年というのはFF9とDQ7という2大RPGが約2ヶ月という短い間隔で発売された年でして、
先に発売されたFF9では、ゲーム内時計を使ってのタイムアタックが流行していました。
これは、12時間以内に既定の場所に着くと「エクスカリバーⅡ」がもらえる、というやり込み要素があったことが大きいと言われています。
そのためDQ7でもその流れを引き継いで、ドラクエシリーズでは初となる、
ゲーム内時計を使ってのタイムアタックがやり込みプレイヤーの間で流行したのです。

※ここを見ている方なら皆さんご存知でしょうが、RTAは電源を付けてからクリアまでのタイムを計るもので、
ゲーム内時間のタイムアタック(当時は「TA」と呼ばれました)は、途中で小刻みにセーブをし、
次のセーブポイントまで完璧に移動・戦闘できたらセーブ、できなければリセット、を繰り返します。

しかし旧来のDQタイムアタッカーにとってそれは違和感のあるタイムアタックでした。
例えばAさんは最初のセーブポイントでのセーブ時間が30分ちょうどだったとします。
この人がそのまま先に進めて、ダーマ神殿到達時点でのセーブ時間が5時間ちょうどだったとします。
Aさんは「ダーマ神殿に5時間ちょうどで着いた!」と喜びをブログに書きます。

いっぽうBさんはそれを見てタイムアタックを開始。
最初のセーブポイントに29分で着くことが出来ました。
こうなると、以後BさんはAさんの途中の中継地点のタイムを1秒でも早くクリアしていけば、
絶対にAさんに勝てます。同じプレイ運びでもダーマに4時間59分で着けます。逆にAさんにはもう勝ち目はないのです。

最初に違和感と書いたのは、単に勝ち目がないことだけではありません。
実際DQ7というのは当時クリアタイムがゲーム内時計で15時間台でした。
つまり、まだ10時間分も残っているのに、そこから先をやる価値がなくなってしまうのです。

上記の例はAさんが途中経過を報告したために起きたことですが、
達成後にレポートを書いた場合も同様です。
後から達成する人は、レポートを見て、それより1秒でも早く各チェックポイントをクリアしていけばいいのです。
そのため、FF9でも既にそうだったのですが、達成者が記録を抜かれるのを嫌がり、
プレイの詳細が語られないケースも見られるようになりました。

当時はネットで動画も見られない時代ですから、達成したことを視聴者が確認できる唯一の方法がレポートでした。
それが書かれなくなってしまうというのは、ネット上でのタイムアタックの存亡にかかわる問題です。
プレイする人にとっても、見て楽しむ人にとっても。

・・・みたいな経緯で、タイムアタックとプレイスタイルを明確に区別するために、
リアルタイムアタックという単語が生まれたのでした。
だから、RTAが生まれたのは2000年なのです。

ちなみに単語を作ったのは「極限攻略研究会」としていますが、具体的に誰だったかは不明になっています。
数年後に極攻研で集まった時(と言ってもまだニコニコ動画とかが誕生する前ですが)に、
「そういえばRTAってだれが言い出したんだっけ」みたいな話をしたことがあるのですが、
dqmaniacさんと英さんとPONさんと僕が、それぞれ、自分が考えたんだったような気がすると言っています。笑
少なくとも最初に英さんが「リアルタイム・タイムアタック」という単語を日記で1回使っていることは判明しているのですが、それを縮めたのは誰か…。
当時は「RTA」のほかにも「LLC」(Low-Level-Clear/低レベルクリアのこと)など色んな単語を作っていたので、
今さら聞かれてもわかんないね、という感じでした。
で、次回の極攻研の会誌は「おてう+PON」でおてポンゲというハンドルネームで何か書きましょうみたいな話をしたのでした。
結局まだ始動してないけど。

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