最近は怒っていることを「オコ」だと表現するらしくて
おコダさんの時代が来たなあと痛感しています。ちょっとかわいそう。
そんな僕が天丼を食べると言ったら9割がたtenya、つまりてんやなんでして、
先日数年ぶりにてんやに入った時なんかは天丼(並)に小うどんなんかも付けちゃったりしたんですけど、
なんか僕の左の人と右の人、そのまた右の人と
みんな注文がなかなか来てないみたいでイライラ気味で。
後ろに団体様がいたので多分そのせいでしょう。
やがて僕の両脇の人に天丼が届いて、次に僕の所にも天丼(並)が…
あれ、2つ右の人より先に僕の所に来ちゃっていいのかな、なんて思いながらも

天丼(並)
天丼はおいしそうなのでいただきまーす、一口ぱくり。うまい!
すると横の方で不穏なやり取り。
「天丼と小うどんのセットでーす」
「は?そんなの頼んでないわよ!」
2つ右の人。
「頼んだものが来ないみたいだし帰りますね」
怒って帰ってしまった。あ、ナウい。オコですね。
あれ?ところで僕が頼んだのって小うどんセットじゃなかったっけ?
どうも店員さん同士のやり取りを聞いてると2つ右の人、
注文する時点では僕の席にいて、注文後に席を移動したらしいんですよね。
そういえば僕の席って端から3番目で、つまり僕の2つ右ってのは端っこの席で。
で、うどんセットはあーそれ僕のですねーってことで、おいしくいただきました。

天丼(並)+小うどん
僕の左の席の人が、食べ終わるまでに僕の方をチラッ、チラッ、って5回くらい見てきたんだけど
僕が悪いのかこれは。いやそんなことないだろ。すき屋とかみそしる後から来るじゃん。
僕を見たんじゃなくて2つ右の席を確認しようとしたのかもしれませんが。あ、そっちか。
左の人が悪いかというとそんなことはないと思いますが、
じゃあ2つ右の人が悪いのか、それとも店員が悪いのか。
そして2つ右の人はどうしたらこの不幸を回避できたのか。
とまあこのように、突発的に訪れる不幸には回避しにくいものが時折あるから、
不幸が突発的に訪れた場合に耐えられる心構えを、常に持っておく必要があるなと思いました。
一般論ですが。
多くの人がそうだと思うけど、不幸というのは訪れないという前提で普段いますよね。
不幸は一定の低確率で偶発的に起こりますから、度重なる不幸もそのn乗の確率で起こります。
オコだオコだも結構ですが、起こりうるオコや起こるべくして起きたオコについては
「それは『起こ』だね」などという返しも同時に流行ってもいいのかなと思いました。
てんやで席を移動したら注文間違えられた、とかけまして
松屋のカウンターにあるあれがない、と解きます。その心は、
どちらもしょうがないでしょう。